今週末、みずがきひろみカウンセラー主催の心理学サロンにゲスト参加します。
テーマは「罪悪感」。
罪悪感について何か書こうと一生懸命考えていたのですが、なかなか筆が進まなかったのは、罪悪感に触れたくない心理が働いたからかもしれません…。
告知が直前となり、申し訳ございませんでした。許してください…。ごめんなさい…。。
罪悪感について、書いていこうと思います。
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子供の頃、私は、母が私に与えてくれるものと、私が望むものの間にあるズレに悩んでいました。
私の育った町では、夏に2日間のお祭りがありました。
母は私に浴衣を用意してくれました。
私が浴衣を着て、友達と夏祭りを楽しむことを望んでいたのです。
しかし、私は正直なところ、お祭りにあまり興味がありませんでした。
浴衣を着たいという気持ちも、これっぽっちもありませんでした。
また、当時の私は人付き合いにも関心がなかったので、学校の同級生とプライベートでまで関わることには、大変強い苦痛を感じる性格でした。
母親からの圧力により、私は渋々、同級生を誘い、夏祭りに出かけました。
夏祭りから帰ると、「やっと解放された」と、心底ぐったりしていました。
私はいつしか、浴衣を着ることを拒み、夏祭りにも出かけたくないと言い、同級生を誘うことにも難色を示すようになりました。
すると、母が嫌な顔をして、猛烈に怒るのです。
私は、母の善意の押し付けに辟易しながらも、それは娘への愛情からの行いであることを理解していました。
だから、私は、母が私にしてくれることを喜べないことに、酷く罪悪感を感じていました。
私の誘いに応じてくれた同級生にも罪悪感を感じていました。
だって、私はその子と夏祭りに行きたいなんて、微塵も思っていないのですから。
私とお祭りに行こうと思ってくれた、その気持ちを踏みにじっているようで、その子の笑顔が、すごく胸に刺さりました。
私はとても悪いことをしている…、まるで犯罪者のような気分でお祭りを過ごしていました。
究極的には、自分の意に反したことを無理矢理やらされている、そのこと自体に、凄まじい罪悪感を持ちました。
母の求めに、従っても罪悪感、断っても罪悪感。
私は何歳になっても、今でも、母の求めにそぐわないであろうことをする時、罪悪感を感じます。
でも、これって仕方のないことなんですよね。
必ずしも、母親と同じような価値観や感性を備えた子供が生まれてくるとは限りません。
小さい頃は母親の言う通りのことができるかもしれないけれど、自我が芽生えるにつれ、言う通りにはできなくなっていきます。
子供が自分の意思で行動する。
それが親の価値観とズレる。
それは子供が大人になっていく過程で、避けがたいことです。
どちらも悪くないのです。
今では、母から何かを無理強いされることはありません。
大人として認めてくれたのかもしれません。
自分とは違うのだと諦められたのかもしれません。
だから、そろそろ、いちいち罪悪感を感じていまうのを手放したいと思っています。
一緒に、罪悪感の手放しにチャレンジしましょう。
みずがきひろみの心理学サロン
第5章
罪悪感は蜜の味
〜どうして素直になれないのだろう?〜
日時:2021年2月7日(日)13:00~16:00
場所:ZOOM
参加料:11,000円